悟り、見性、心身脱落。回心(えしん)、見神、柱源の境界。覚醒、サマディ、エンライトメント(光明体験)、そしてノンデュアリティ(非二元)。
色々な呼び名がありますが、全て「脱エゴ」という現象を表す言葉です。
エゴは欲望であり、自我そのものです。自我は意識の器であり、何らかの理由で意識の器が壊れると、脱エゴ(悟り)という現象が起きます。
悟りには段階があり、初歩の悟りはエゴがエゴを認識するという形で起きます。要約すると「これがエゴの働きか!」と理解する、ビックリ仰天の体験です。
最近ではアハ体験とも言いますが、とにかくビックリした後に、全ての悩みがエゴによるものだと分かって、急に気持ちが楽になります。
人によっては壮絶なネタバレで呆気にとられたり、悩んでいた理由があまりにアホらしくて笑えてくるみたいですね。
次の段階では「最初から問題なんか無かった、悩む必要なんか無かった、本当は何も無いんだ!」という絶対無の目覚めがあります。
絶対無を悟った人は、仏教経典や、他の宗教、秘儀秘教の大半を理解する事が出来るようになります。もちろん、めっちゃ凄いことです。
しかし、自我という意識の器に大きなヒビが入って、そこから外の世界を覗いているような状態なので、まだまだ覚者としては未熟です。
次の段階では、自我という意識の器が完全に壊れてしまって、それまで自分と思っていた意識が世界と融合してしまいます。
この段階に至った人は、全てが自分だとか、世界はワンネスだと言うようになります。でも、まだ世界を見ている自分が存在しているので、完全な悟りとは言えません。
最終段階では、自分と世界を隔てる境界線(自我)が完全に無くなったのに、肉体だけが元気に生きている「非在」という状態になります。
非在の境地に至った人を、仏教では尊敬と憧れの気持ちをもって、ブッダや如来と呼称します。
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