高次の世界では嘘など通用しませんが、残念ながら物質世界では嘘が通用します。なので、霊性が低くて、平気で嘘を吐ける人の方が、社会的には成功します。
霊性が高い人は秩序のある平和な社会を望み、霊性が低い人は弱肉強食で無秩序な社会を望みます。これに関しては、どちらが正しいということはありません。
霊性が高い人が多くなれば平和な社会になり、霊性が低い人が多くなれば世が乱れるというだけの話です。
スピリチュアルの世界には、霊性を高める為の知慧がたくさんあります。でも、その知慧に興味を持つのは、ある程度まで霊性を高めた人だけです。
霊性の低い人は、下手に知慧を得ると心が弱くなって、生きるのが難しくなると考えます。つまり、彼らは生き残る為に、自らの意思で愚かでいることを選んでいるのです。
鯉と鮒、山女と岩魚が同じ水域で生きられないように、霊性の高い人と、霊性の低い人は、同じ社会では生きられません。
多様性のある社会とは、法整備による線引きと住み分けがされた社会のことであって、清濁入り乱れるカオスな社会を意味しません。
鯉と鮒、山女と岩魚に優劣は無いのですから、お互いの特性を理解し、尊重し合わなければいけません。平和な社会を実現するには、相互理解が絶対に必要なのです。
相互理解の無い社会は、誰かをスケープゴートにしないと成り立たないし、偽りの寛大さによって維持される社会には、維持するだけの価値がありません。
私達の社会は嘘と欺瞞の塊ですが、それは人間が不純物の無い環境では生きられない生物だからです。
その為、社会の潤滑油としての適度な嘘は、ある程度、許容せざるを得ない部分があります。
私自身「真の善や、寛大さとは、悪をも包み、受け入れることだ」と考えた時期もありました。でも、この考え方では、霊性を高めることは出来ないのです。
霊性を高めることを望むなら、清らかな安住の地と、グループソウルの同士を求めて、旅に出る勇気を持たなければなりません。
俗世にまみれながら独りで霊性の高みを目指せるほど、我々は強くありません。良師や、良友、伴侶に恵まれてこそ、良い旅が出来るというものです。
本当は怖いのに「怖くない」と嘘を吐いたり、本当は辛いのに「辛くない」と嘘を吐く人は、一生旅に出られません。
嘘、偽りは、人を不幸にするだけです。
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