私は昭和49年に新潟県立・新発田(しばた)病院で産まれました。病院のすぐ近くに新発田総鎮守・諏訪神社があるので、産土神(うぶすながみ)はお諏訪様という事になるかと思います。
新潟は母方の郷里ですが、生家は土地の悪因縁が凄まじく、常に家の中に良くないものが居ました。新品の蛍光灯がパカパカ点滅したり、激しいラップ音が鳴り響くのは当たり前で、家族は病気、怪我、事故が絶えず、大半は早世しています。
菩提寺は乙宝寺(おっぽうじ)という真言宗の名刹ですが、何度祈祷してもらっても状況は変わらなかったそうです。私自身も幼い頃に、誰も居ないのに障子がスルスルと開いていったり、ボソボソと人の話す声が聞こえるという心霊現象を経験しています。
父方の実家は福島県にある浄土真宗の山寺ですが、その歴史は非常に古く、迷信を嫌う真宗の寺院なのに白狐や天狗や巨人が由緒に関係していたり、すぐ近くに妙見信仰と思われる謎の遺跡があったりします。
歴代住職は寺の守護神である白狐から霊能力を授かり、それなりの役目を与えられてきたそうです。でも、本堂は仏教寺院に特有の陰鬱な雰囲気が強く、裏手には歴代住職の墓があって不気味なので、帰省するのが嫌で嫌で仕方がありませんでした。
父親は寺の長男でしたが、跡継ぎにはならず東京で公務員になりました。寺は次男の叔父が継いだので、もう私は寺とは何の関係も無いのですが、一族の中では私が最も強い仏縁をいただいています。
父親の仕事の都合で、幼い頃は東京の団地に住んでいました。幼稚園に入る前から水木しげる先生の妖怪図鑑を愛読する変な子供でしたが、中学二年の時に漫画の孔雀王にド嵌りして、密教呪術や西洋魔術に興味を持ちました。
著名な神霊研究科・ダイアン・フォーチュンの「心霊的自己防衛」や、20世紀最高の魔術師・アレイスター・クロウリーの「法の書」を読んだのも、この頃です。そして中三の時に父親の仕事で多摩地域に引っ越して、ある図書館で中国仙道の本を読みました。
それが切っ掛けで「氣」の世界に足を踏み入れて、天台宗の名刹・深大寺の境内で気功をしたり、境内でパワースポットを探したりしました。高校卒業後はカルロス・カスタネダに傾倒して、夢見術の修行をしています。
私には夢見術の才能がありましたが、カスタネダ氏の夢見術は体系化されておらず、危険だと感じたので足を洗いました。その日からオカルトとは距離が出来てしまい、かねてより興味があった心理学に没頭するようになりました。
心理学の研究が進むにつれて人生問題で悩むようになり、1999年11月21日に悟りの体験をしました。その時点では自分の体験が本物の悟りかどうかが分からなかったので、とりあえず禅宗や仏教について学んでみる事にしました。
ある日、某巨大掲示板で、私と良く似た悟りの体験をした人物を見つけました。試しに対話をしてみると驚くほど話が噛み合い、その末に「我々は上座部仏教の預流果という初歩の悟りに到達したのではないか?」という結論に至りました。
それから上座部仏教の勉強を始め、一時は上座部仏教圏のタイかスリランカで出家する事も考えました。でも、無明庵という有名なサイトを発見し閲覧すると、上座部仏教への関心はアッサリ消滅しました。
何故なら、無明庵とその関連書籍には、悟りへの疑問と答えが完全に網羅されていたからです。無明庵を知ってから、かなりの年月が経ったある日、梅の間「1403」の記事にある水晶を使った術を実際にやってみようと思い、深大寺の隣にある青渭神社の境内で試してみました。
するとその晩、私の夢の中に青渭神社の御祭神・ミヅハノメノカミが顕現したのです。彼女?はワンピースにカーディガンという現代的な服装をしていたものの、明らかに人外と分かる圧倒的な御神気(感情エネルギー)を放っていました。
私は既に悟りを体験していたので、神の降臨による至福と歓喜に包まれても正気を失ったりはしませんでした。でも、神秘体験に慣れていない人があんな経験をしたら、精神的に舞い上がってしまってどうしようもなくなると思います。
また、この体験により御神気の本質は感情エネルギーであると理解し、それ以降は神社以外の場所でも御神気を感じられるようになりました。恐らく、日本人特有の空気を読む文化は、八百万の神々や数多の仏尊との交流によって育まれた特殊能力なのでしょう。
そして日本の神々は、我々日本国民との交流を望んでおられるという事も理解しました。神様はいつでも私たちを見ていますし、私たちの心の準備が整えば、いつでも降臨していただけます。全ては私たち次第なのです。
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