私たちの悩みの原因は、大きく分けて2つあります。一つは二元論的思考によるもので、もう一つは人間関係です。この二つの原因を克服する方法はただ一つ、視野を広く持つことです。
視野が狭いと、自らの主観を真実と錯覚したり、自分の都合しか考えられなくなったり、特定の考え方に固執して、周囲の人達と衝突を繰り返したりします。
実力に見合わないプライドを持つ人や、非現実的な考え方をする人は、例外なく視野が狭いものですし、頻繁に人間関係のトラブルを起こします。
視野を広くするには、まず物事は色々な見方ができるということを知る必要があります。それは、あらゆる物事に絶対は無いということの裏返しです。
人は誰しも唯一絶対の答えを求めるものですが、最善の答えはあっても、絶対の答えはありません。でも、視野が狭い人は、自分が見つけた答えを絶対的真実だと錯覚して譲りません。
何故、この世に絶対は無いのかと言いますと、光と闇、表と裏があるように、この世は二元性(デュアリティ)によって成り立っているからです。
二元性には、ただの一つも例外が無いため、誰かが一つの答えを出せば、それと同時に真逆の答えも生じてしまいます。
仏教では、この事実を因縁生起(いんねんしょうき・因縁)と言い、絶対不変の真理であると説いています。
絶対は無いという教えが、絶対の真理というのも変な話ですが、真理は迷妄と共に生じるものに過ぎないので、人の心に迷妄が有れば、真理もまた生じてしまうのです。
最初から人の心に迷妄が無かったら、真理が生じることも無く、この世に仏教が必要とされることもありませんでした。
この迷妄も真理も存在しない様子を、涅槃(ねはん・ニルヴァーナ)や非二元(ノンデュアリティ)と言います。
非二元は平穏そのものですが、何も認識できないし、理解もできないので、酷く退屈です。そしてその退屈さを、人は虚無(虚空)と呼んで恐れてきました。
虚無は、全てのものを無意味、無価値と断じます。それは物事に意味や価値を求めずには居られない人類にとって、事実上の死刑宣告です。
霊性が高い人は、その死刑宣告の理由を知ろうと努力しますが、霊性が低い人は、一目散に逃げるだけで何も理解しようとしません。
霊性の低い人は、心の底では常に虚無を恐れています。何故なら、虚無の前では、自己の優位性や、正当性などは、何の意味もなさないからです。
私たちが霊性を高めるのは、虚無への耐性をつけて、厳しい現実と向き合えるようになるためです。
そして、その努力は楽しいことであり、自らのエゴと主観を離れて、非二元に安らぐことでもあるのです。
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