霊性が高い人は、料理や食事への感謝を正しい作法で示したり、自分でも楽しみながら料理を作ったりします。
逆に、霊性が低い人は滅多に料理をしませんし、誰かが作った料理も、まるで土足で踏みつけるかのようにガツガツとむさぼり喰らいます。
正しい料理は、人に喜びと活力を与え、食する人に大いなる生命の循環を実感させてくれます。しかし、間違った食事は人を堕落させたり、時には破滅に追いやることさえあります。
正しい料理と、間違った料理の差は、心の有無にあります。食べる人の笑顔を想像し、愛情と思いやりを込めて作る料理は、何ものにも代えがたい価値を持ちます。
逆に、心の貧しい人が作った料理は、高級食材を粉団(ふんだん)に使ったものであっても、何故か不満が残ります。
つまり、料理は味覚だけを楽しむものではなく、料理に込められた心(アストラル・エネルギー)を味わうものでもあるのです。
また、大切に使っている調理器具や食器には、持ち主の心が宿ります。心が宿った器具や食器は、ある種の「生き物」です。
キッチンとは、調理者と、食材と、調理器具と、食器の心が一つになる場所であり、動植物の生命をいただく準備をする祭祀場なのです。
キッチンが祭祀場なら、料理は祭祀そのものです。個人で粛々と行う祭祀(料理)と、複数人で和やかに行う祭祀に上下は無く、どちらも尊いものです。
料理と食事という日々の祭祀を大切にできない人は、自他の生命を大切にすることもできません。つまり、生命を大切にできない荒んだ心が、食生活の乱れに繋がっているのです。
食生活が乱れている人は、霊性を高める努力もできません。この悪循環を断ち切るには、まず食生活の乱れを正すことから始める必要があります。
手始めに、外食やお弁当などを購入することを止めて、自宅で御飯を炊き、味噌汁を煮て、一汁一菜の簡単な食事を作れるようになりましょう。
自炊を始めると、料理の大変さと、作ってもらうありがたさが身に染みるようになります。お金を払って料理を買うだけでは、食への感謝は湧かないし、活力にもなりません。
コメント