人が悟れないのは、強固な思い込みがあるからです。その思い込みの根拠になっているのは、それまで積み上げてきた学習と経験です。
親の教育、学校での学び、本やネットで調べたこと、そして、これまで経験してきた人間関係・・・。
こういった今の自分を作っている大切なものが、強固な思い込みの根拠(主観・世界観)になっています。
個人の世界観は、あるがままの世界(真如)や、無我という真理を否定します。何故なら、人間の認識能力は、自分の世界観が最も正しいと思うようにできているからです。
この認識能力がクセモノで、悟りの道におけるラスボスと言っても過言ではありません。
でも、このラスボスは、私たちが生きていく上で絶対に必要なものなので、今すぐに倒しに行くことはできません。
何故なら、このラスボスたる認識能力は、安全か危険かを判断する能力でもあるからです。
例えば、認識能力が未熟な子供は、常に親が見ていないと、すぐに怪我をしたり、変なものを口に入れたりしますよね。
私たちが生きる物理世界は、危険がいっぱいです。なので、この認識能力が正常に働かなくなると、身の安全を守れなくなってしまうのです。
物理世界や、人間社会は、刺激に満ちた場所ですが、そんな場所では危なっかしくて、認識能力を手放すことができません。
だから仏教の僧侶は、世を捨てて、出家して、寺院という聖域(安全地帯)で修行に励むのです。
では、在家では修行ができないのかと言うと、そんなことはありません。思い込みを解く方法は一つでは無いですし、何だって道になります。
一番簡単な方法は、出家修行者であり、仏教学者でもある、僧侶の話を聞くことです。悟りの体験と、社会人経験のある僧侶なら、なおよしです。
仏教では、お釈迦さまの教えを学んだり、僧侶の話を聞くことを、声聞(しょうもん)と言います。
声聞は声聞乗(しょうもん じょう)とも言って、悟りに至る修行の一つに数えられています。これは、人の話を聞くだけでも、悟る人は悟るという意味でもあります。
個人的には、向令孝禅師や、ヨグマタ・相川圭子さんの話を直接聞きにいくことをお勧めします。
また、悟りを体験した阿部敏郎さんや、雲黒斎さん、大和田菜穂さんの話を聞きにいくのも良いでしょう。
OSHOや、MOOJIの動画を見るのも悪くはないのですが、実際に会ってみないと分からないことや、伝わらないものもあるので、興味があったらで構いません。
上記の覚者たちは、人々の思い込みを解く手伝いや、カウンセリングみたいなことを念頭に置いて話をしています。
だからこそ、お金を払ってでも話を聞きに行くだけの価値があるのです。
逆に、「〇〇が正しい」とか、「〇〇が本物だ」と主張する人の話を聞くと、自分自身の思い込みを助長してしまうので、声聞の修行になりません。
色んな人達の、色んな考え方や価値観(世界観)を知るのは、知識を深めるためではなく、飽くまでも自分自身の思い込みを解くためです。
知識の中に真理は存在せず、思考や推測によって真理に近づくことはできません。
思い込みという迷いの霧が晴れれば、この世の全てが、あるがままに見えてきます。そして、それこそが真理(真如)であり、悟りの世界に他ならないのです。
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