あらゆる物事は、色々な見方ができるものです。国や地域によって法律や常識も違いますし、時代の流れで善悪が逆転することもあります。
例えば、私たちの先祖は戦国時代まで首狩り族でしたし、昭和の中頃まで好戦的な愛国者が大半を占めていました。
今の価値観からすれば、とんでもない時代だった訳ですが、当時はそれが普通だったんですよね。
私たちは子供の頃から「普通であること」を要求されますが、考えてみれば、何をもって普通とするのかが良く分かりません。
普通とは、ふわっとした時代の空気のことであり、この空気を読めなかったり、異を唱えたりする人は嫌われて、遠ざけられてしまいます。
しかし、そんな社会の在り方が、本当に正しいと言えるでしょうか。色んな人が居て、色んな考え方が尊重される、多様性のある社会の方が正しいのではないでしょうか。
多様性とはカオス(混沌)であり、カオスな社会には衝突が絶えません。そして、衝突の末に勢力が拮抗し、平和が生じるのも事実です。
圧倒的な「力」によって衝突を抑える方法もありますが、このような方法で生じる平和は、とても息苦しいものです。
「ならば、どうすれば良いのか?」と思うかも知れませんが、実の所、どうにもなりません。でも、世界がどうにもならないのは、あなただけの責任ではありません。
ダイバーシティ(多様性)も、ファシズム(結束主義)も、平和どころか、常に、色んな場所で、際限なく衝突を繰り返しています。
そして、このどうにもならない世の中を「こういうものだ」と肯定し、受け入れることが真の愛であり、本当の意味でのポジティブ・シンキングなのです。
一般的なポジティブ・シンキングは、自分にとって都合の良い見解だったり、無理矢理に合理化するものだったりしますが、それはただの偏見に過ぎません。
因みに、仏教では偏見や邪見が苦を生み、歪みの無い見解が楽を生むと説きます。
そしてそれは、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八つの正しい道(八正道)によって成されます。
でも、仏教は「これが正しい、だからこうしろ!」とは言わないので、思い込みを捨てて「本当に正しいこととは何か?」と自問自答しなければなりません。
世の中に争いが絶えないのは、みんな自分が正しいと信じ込み、その信念を「力」で押し通そうとしているからです。
ですから、みんなが一歩踏み止まって「この考え方は、本当に正しいのか?」と顧みるようになれば、少なくとも対話の余地くらいは生まれます。
価値観の多様性は、正しさの多様性です。みんながみんな、正しいことを言っていると考えれば、あらゆる意見をポジティブに受け止められる筈です。
基本、オールOK! 後は好みの問題です。
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