悟りとは、我(が)が有るという思い込みを取り除き、無我(むが)という真理に目覚めることを言います。
私たち人間は、みんな我が有ると思い込んでいるから、世界や、宇宙と一つ(ワンネス)になれないのです。
元から全ては一つで完璧なのに、その事実(真理)を否定して、勝手に問題を起こし、勝手に苦しんでいるのです。
でも、この思い込みは極めて強固なため、取り除くのは大変です。命懸けで修行をしているお坊さんでも、なかなかできることではありません。
もっとも、お坊さんは仏教を伝えたり、人を悟りに導く使命を果たすために、敢えて厳しい修行をしているという面もあります。
普通の人は、他人を導くという使命を背負っていないので、お坊さんのような修行をする必要はありません。
むしろ、仕事や、恋愛や、育児ほど、厳しい修行は無いとも言えます。御存じのように、人として生きるというのは、とても大変なことなのです。
日々、社会の荒波に揉まれながら、霊性を高める努力を欠かさず、自分らしく生きる。こんな人生なら最高ですが、実際は難しいものです。
でも、似たような考えを持つ異性や、グループ・ソウルのメンバー達がそばに居れば、少しは歩みが楽になる筈です。
因みに、仏教でも善男善女のサンガ(組合団体)を作ることを勧めています。要するに、人は独りでは生きていけないし、独りでは悟れないのです。
世の中には「自分一人の力で悟った!」と自慢している人も居ますが、それは極めて傲慢なセリフであり、視野が狭いと言わざるを得ません。
そういう人は、人間社会の恩恵と、グループ・ソウルの霊的支援に気づいていないか、目を逸らしているだけです。
確かに、宇宙で完全に孤立した存在となることで、あらゆる思い込みを取り除くという乱暴な悟り方もありますし、この方法でなければ悟れない人が居るのも事実です。
でも、そんな悲しい悟り方を、みなさんに勧めることなどできません。個人的には、やる必要がある人だけが、やれば良いと思っています。
悟りへの道は一つでは無いですし、その中には、厳しい道や、優しい道もあります。どの道を歩むにしても、独りで歩むより、仲間と共に歩む方が幸せになれます。
だって、最終的に「全ての思い込みを解くこと」さえできれば、それで良いのですから。
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