悪人の末路

コラム

「憎まれっ子、世に憚(はばか)る」とか「悪い奴ほど良く眠る」という諺(ことわざ)言葉が残っているのは、昔から悪人が得をして、善人が損をしてきたからです。

外国にも似たような言葉があるので、こういった問題は万国共通だということが分かります。

ルールを作って守るより、そのルールを破る方が簡単です。でもそれは、ルールを作った人の労力を台無しにする行為であり、分かりやすく言えば反則です。

 

悪人は反則を好み、他人が作ったルールに従うことを極端に嫌がり、猛烈に反発します。その根底には、他人に従うことを屈辱と捉える心理があります。

その為、悪人はルール破りが許される特別な立場を欲しがったり、自分がルールを作る側に立とうとします。

でも、自分よりも悪くて、怖くて、強い人には、決して逆らいません。そして、自分より強い悪人の配下になって保身を図り、こんなに凄い人と仲良くなれる自分も凄いと自惚れるのです。

 

実際、社会に出てもワルとして生き残っている人は、能力だけは高かったりします。会社のパワハラ上司や、士業の資格を持つインテリヤクザなどがそうですね。

極めて自己中心的で、平然と他人を利用したり、切り捨てることができる非情な心の持ち主でなければ、ワルの世界では生き残れません。

しかし、いくら能力が高くても、気配りや気遣いができない人は、他の悪人に足元をすくわれます。実際、失脚するパワハラ上司や、破門されるヤクザは星の数ほど居ます。

 

悪人の成功は鼻につくので悪目立ちしますし、成功した悪人が増えれば社会は乱れます。法律、ルール、マナーとは、社会の乱れを抑えるために生み出された人類の知恵なのです。

因みに、悪人は知恵の結晶である集合知を好みません。それどころか、不遜な態度で集合知を侮(あなど)り、全てを否定することもあります。

何故なら「そんなもの(集合知)より、俺様の考えの方が優れている」と自惚れているからです。自惚れは視野を狭めるので、どうしても歪(いびつ)な考え方になるのです。

 

視野の狭さは、強い偏見を生み出し、物事の姿を歪めます。このあたりで悪事と自惚れのデメリットに気づけば良いのですが、殆どの人は悪人の集団(悪党)に取り込まれて、引き返せなくなります。

悪党に取り込まれるということは、自分よりも強い者に付き従うということです。そして悪人の世界はパワハラ上等の世界なので、一般社会で生きるよりも不自由になります。

他人が作ったルールに従うことを拒否した結果、より強い悪人に利用され、失敗すれば切り捨てられる人生になるとは、何とも皮肉なものです。

 

若い頃は、社会の仕組みが守ってくれるので、悪人の方がオイシイ思いをすることもあります。でも、そこで味を占めて調子に乗ると、ダークな世界に堕ちていく訳です。

悪人がルール無用で好き勝手をしている所を見れば、誰だって腹が立ちます。真面目な生き方を否定されたり、利用されたりすれば、誰だって傷つきます。

でも、そこで自分もルール破りをすれば、悪人と同じ土俵に立つことになりますし、悪人が得意とするルール無用の土俵に立てば、勝てる勝負でも勝てなくなります。

 

悪人から身を守るには、悪人が近づくことさえできない所に行くのが一番です。それは真摯に人間性の高みや、霊性の高みを目指していれば、必ず到達する場所でもあります。

もはや堕ちることしかできなくなった悪人と、一時的に堕ちることも、そのまま高みを目指すこともできる善人では、選択肢の数と、自由の幅が違います。

社会の枠組みの中に居る限り、挑発されて感情的になったり、自縄自縛に陥ったりしなければ、善人の方が有利です。どうか、このことは忘れないでください。

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