ハイアーセルフ

コラム

私たちの悩みは、殆どが人間関係の悩みです。そして人間関係の悩みには必ず自我(エゴ)が関係しています。

でも、自我は他人との距離感や、踏み越えてはならない一線の基準なので、必ずしも悪いものとは限りません。

スピリチュアルでは、自我は低次の自己として邪魔者扱いされがちですが、自我は他人との距離感そのものなので、大切にしなければ人間社会で生きていけません。

 

未熟な自我は、その未熟さによって人間関係を含む様々なトラブルを呼び込み、大切にされなかった自我は愚痴と復讐心の塊と化します。

逆に、大切に育まれ、キチンと成熟した自我は、を以て他人を育もうとします。

いわゆるハイアーセルフとは、その自我(エゴ)を見ている真の自己のことであり、その正体は純粋意識そのものです。

 

純粋意識は、単に意識するだけで、何もジャッジしません。と言うより、ジャッジする能力が無く、ただ事実を事実として受け入れることしかできないのです。

愛とは受け入れることであり、純粋意識であるハイアーセルフは、まさに愛そのものです。

愛には欲望も、行動する力(能動性)も全くありませんが、不満を感じることも無いので、常に歓喜で満たされています。

 

存在とは歓喜そのものであり、本来、私たちは生きているだけで充分に幸福なのです。でも、未熟な自我(エゴ)は自分が世界の中心でなければ納得しません。

我の強い人が人間関係におけるトラブルメーカーになりがちなのは、自分が「世界の中心たる神ではない」という現実を認められないからです。

少し考えれば「おかしい」と解りそうなものですが、周囲に我の強い人しか居ないと「我を通すのが当然」という考え方になり、修正が効かなくなるのです。

 

自我とは欲望そのものであり、ハイアーセルフはエゴに汚れ腐った自己に違和感を覚えることもなく、愛と歓喜に満ちたまま、ただ全ての出来事を見守っています。

未熟な自我に違和感や嫌悪感を覚えるのは、ハイアーセルフの視点を得た自我の役割であり、克己心や、自己超越といった高次の願望を生み出すのも自我なのです。

脱自我は至高の願望ですが、その願望を持つに至る人は、自我を成熟させて、霊性を高めた人だけです。

 

自我を成熟させ、霊性を高めた人は、自然や、他人の内に、神仏を見出します。内在神や仏性の正体は、愛であり、純粋意識であり、ハイアーセルフなのです。

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