恋愛において、自信の有無は決定的な差に繋がります。何故なら、その自信に根拠が無くても、堂々としてさえいれば、それなりにモテるからです。
自信とは魅力そのものです。男性だろうが女性だろうが、自信の無い人はモテません。ただし、それは表面的な魅力に過ぎませんけどね。
根拠の無い自信だけでは、人生の試練を乗り越えられません。どんなにルックスが良くて、コミュ力が高くても、中身の無さがバレた時点で終わりです。
少し前まで「自己肯定感が大事、自己肯定感を上げていこう!」というムーブメントがありました。
でも、これはポジティブ・シンキングと同じで、ある種の自己洗脳に過ぎません。自己洗脳で取り繕った表面的な自信や魅力は、とても脆いものです。
その脆さの原因は、表層意識で自己肯定をしながら、深層意識では自己否定をしているからです。まともな人ほど、自己矛盾のチグハグさに耐えられないのです。
本当に大切なのは自己受容であり、自分で自分を愛する事です。自分への愛が深ければ深いほど、強い自信を持てるようになります。
意図的に自分肯定をする必要など、何処にもありません。あるがままの自分を「良くも悪くも、自分はこうなんだ」と、ただ淡々と受け入れるだけで良いのです。
それは自分にとって大切な人を愛する時や、大切なものを愛する時も同じです。要するに、愛に努力は必要ないのです。
愛に努力が必要だとするなら、それは大して好きでもないものや、本当は嫌いなものを受け入れざるを得ない時だけです。
物事には多面性があり、どんなに嫌いなものにも必ず良い面が存在します。その良い面を知れば知るほど、心の許容範囲が広くなっていきます。
許容範囲と視野の広さは比例しますし、物事の多面性を知る努力をするほどに、智慧と、観察力と、洞察力が深くなっていきます。
嫌いなものを見ないで済ませたり、適当に根拠をでっち上げて否定するのは楽ですが、それでは霊性を高める事はできません。
霊性が低い人は、グループソウルのメンバーや、ツインレイと出会っても分かりません。何故なら、他人をロクに知ろうとせず、自分の都合で拒絶するからです。
人を見る目が無いということは、そういうことなのです。そんな人が本物の自信を持てる筈も無く、ハッタリだけの自惚れ屋として生きていくしかありません。
自惚れ屋は、既に自分自身に負けているという事実を認めません。だから必要以上に勝ちにこだわり、虚勢を張り続けるのです。
でも、本当に自信がある人は、認めるべきものはキチンと認めて、自分自身と向き合います。だからこそ、霊性の高みを目指せるのです。
こういう人が異性にモテたり、同性に好かれたりするのは、当たり前のことです。
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