ルッキズム(外見至上主義)とは、容姿やファッションセンスで他人を判断したり、社会的な序列を決めようとする思想です。
序列は差別と格差を生み、容姿に恵まれただけでハイソな港区女子になれたり、容姿が悪いだけで人生がハードモードになったりします。
しかし、容姿に恵まれた人が、心まで美しいとは限りません。何故なら、心の美しさは、容姿には表れないからです。
容姿とは、両親からの「もらいもの」です。確かに、若い頃は大変な威光を発揮しますが、男女ともに30歳くらいから通用しなくなっていきます。
その「もらいもの」のおかげで良い思いをしてきた人たちは、極端に加齢を恐れ、必死に若さを失うまいと足掻きます。
おかげでアンチ・エイジング市場は一大産業に成長しましたが、これが無ければみんなの生活が成り立たないというような仕事(基幹産業)ではありません。
では、何故ルッキズムが幅を利かせているのかと言いますと、それは「ちょっと容姿を整えるだけ」で、手軽に社会的な序列を上げられるからです。
ちょっと良い服を着るだけ、ちょっとお化粧するだけで、他人から肯定的な評価を得られるというコスパの良い成功体験と優越感が、人をルッキズムに走らせるのです。
しかし、ルッキズムに走るような人は、コツコツと地道に努力してきた人には敵いません。その勝負の決着がつくのが、容姿が衰え始める30歳前後なのです。
恋愛において、ルッキズム全開の人は自分が異性を愛する(受け入れる)のではなく、容姿とテクニックで異性に自分を愛させようとします。
ですが、愛はどこまでも受動的(パッシブ)なものであり、能動的(アクティブ)な愛は欲望の発露に過ぎません。
ルッキズムに走る人は、愛を知らず、愛に飢えているからこそ、愛を要求し、愛を壊してしまうのです。
因みに、外国のビジネスシーンでは、一度しかないチャンスを確実に掴むために第一印象に気を使います。
国内のマッチングアプリでも、出会いのチャンスを掴む為に、プロフィールの写真で勝負します。
一発勝負の場面に限定すれば、それなりにルッキズムは有効ですし、ある意味、オシャレは気合を入れる為の変身とも言えます。
実際、男性はオラついた服を着るだけで男性ホルモンが増加し、女性はネイルをするだけで気分がアガり、仕草が女性らしくなるそうです。
恋愛は一発勝負のギャンブルではないので、変身がアイデンティティ(存在証明)になってはいけませんが、色んな自分を使い分けられるようになるのは良いことです。
普段は他人を容姿や序列で判断したりせず、コツコツと霊性を高める努力を積み重ね、いざ勝負となればドレスアップして戦いに臨む。
そんな魅力的な人が、周囲の人たちに愛されない訳がありません。
ルッキズムが勝利をもたらす強力な武器になるか、差別の嵐を巻き起こす不幸の種子になるかは、それを扱う人次第です。
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